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奈良地方裁判所葛城支部 昭和62年(ワ)206号 判決

原告

米田秀子

右訴訟代理人弁護士

吉田恒俊

佐藤真理

相良博美

坪田康男

被告

北林真一

北林勇

安田火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役

後藤康男

右被告三名訴訟代理人弁護士

山脇衛

主文

被告北林真一及び被告北村勇は、原告に対し、各自、金二〇三四万四五五九円及びうち金一八三四万四五五九円については昭和六一年二月一六日から、うち金二〇〇万円については平成四年一月二四日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

被告安田火災海上保険株式会社は、原告に対し、金八七四万円及びこれに対する昭和六二年九月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを七分し、その二を原告の、その二を被告北林真一の、その二を被告北林勇の、その一を被告安田火災海上保険株式会社の各負担とする。

この判決は、一、二項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告北林真一(以下被告真一という。)及び被告北林勇(以下被告勇という。)は、原告に対し、各自、金三一四〇万一九一〇円及びうち金二八四〇万一九一〇円については昭和六一年二月一六日から、うち金三〇〇万円については平成四年一月二四日から各支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告安田火災海上保険株式会社(以下被告安田という。)は、原告に対し、金一三〇八万円及びこれに対する昭和六二年九月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、被告らの負担とする。

4  1、2項につき仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二  主張

一  請求原因

1  本件事故の発生

昭和六一年二月一六日午後二時二〇分頃、奈良県橿原市〈番地略〉の交差点手前で、信号待ちのため停車中の米田秀城運転の軽四輪乗用自動車(以下原告車という。)の助手席に原告が座っていたところ、被告真一運転の普通乗用自動車(以下被告車という。)が後から追突した。

2  責任原因

(一) 本件事故は、被告真一の前方不注視の過失により発生したから、同被告は、自動車損害賠償保障法三条の運行供用者責任及び民法七〇九条の不法行為責任を負う。

(二) 被告勇は、本件事故当時、被告車を所有していたから、自賠法三条の運行供用者責任を負う。

(三) 被告安田は、本件事故当時、被告勇と自動車損害賠償責任保険契約を締結しており、これに基づき、本件事故による原告の損害のうち、後遺障害に伴う分について最高二五〇〇万円の限度で原告に対して支払義務を負担する。

3  原告の損害

(一) 原告は、本件事故により、外傷性頸椎症、腰部捻挫等の傷害を受け、尾崎整形外科にて昭和六一年二月一七日から同月二三日まで通院治療、大和高田市立病院にて同月二四日から同年九月一日まで通院治療、同月二日から同月八日まで入院治療、同月九日から昭和六二年二月一五日まで通院治療、同月一六日から同年三月四日まで入院治療、同月五日から同月一一日(症状固定日)まで通院治療を余儀なくされ、同年三月九日以降西郡山接骨院にて通院治療中である。

(二) 右受傷による原告の具体的損害は次のとおりである。

(1) 治療費 九五万一三六八円

イ 尾崎病院 一万七九一三円

ロ 大和高田市立病院 七八万三四五五円

ハ 西郡山接骨院 一五万円(昭和六二年三月九日から同年六月二〇日まで分)

(2) 入院雑費 三万一二〇〇円

入院二四日間、一日一三〇〇円として。

(3) 通院交通費 一二万一三八〇円

原告は、歩行が著しく困難なため、バスを利用できず、当初タクシーで通院し、その後原告の夫が自家用車で送迎した。

従って、現実に利用したタクシー代と、それ以外の場合につき、バスを利用した場合の料金をもとに算出する。

イ 大和高田市立病院へのタクシー代三六回分二万五八六〇円

ロ 同病院へのバス代二六〇円の三六二回分九万四一二〇円

ハ 尾崎整形外科へのバス代一四〇円の一〇回分一四〇〇円

(4) 入通院付添費 六一万八〇〇〇円

イ 入院付添は、原告の娘昌代が勤務先を退職してあたった。一日四五〇〇円として二四日間分で一〇万八〇〇〇円

ロ 通院付添は、原告の夫秀城と娘昌代が交替であたった。一日二五〇〇円として二〇四日分で五一万円

(5) 休業損害

原告は、家庭の主婦として家事に従事するかたわら靴下の底上げ加工の内職を一〇年前からしていた。内職手当は月に七、八万円であった。

よって、賃金センサスの女子平均賃金をもとに、事故発生日から症状固定日(昭和六二年三月一一日)までの休業損害を算出する。

一八万五一〇〇円×(一二+二四÷二八)=二三七万九八五七円

(6) 入通院慰謝料 一〇〇万円

入院二四日間、通院二〇四日間を余儀なくされたので、入通院慰謝料は、一〇〇円を下らない。

(7) 後遺障害による逸失利益 一三九四万一四七三円

原告には、頸部痛、肩部痛、腰痛、左上下肢痛、知覚障害、左上下肢の筋力低下、脊柱運動障害、歩行障害等の後遺障害がある。

満足に歩くこともできず、手作業もできず、家事も殆どできない。毎週四、五回の割合で西郡山接骨院に半日がかりで通院し、治療を継続している。

従って、原告は、「神経系統の機能に著しい障害を残し、特に軽易な労務以外の労務に服することができない」状態にあり、自賠法の後遺障害別等級表の第五級に該当する。そうでないとしても、「軽易な労務以外の労務に服することができないもの」であり、同等級表の第七級に該当する。

よって、労働能力は七九パーセント失われており、少なくとも昭和六二年三月一二日以降一〇年間は継続することが確実である。そこで、後遺障害による逸失利益を次のとおり算出する。

18万5100円×12(年収)×0.79×7.945(一〇年の新ホフマン係数)=1394万1473円

原告は昭和五六年に左根性坐骨神経痛の病名で約一月間入院治療し、昭和六〇年四月には頸部椎間板症の病名で約一月通院加療している。しかし、原告はその後本件事故前まで日常何ら支障なく生活してきたから、原告の現在の症状は右既往症と同質のものであるが、単なる既往症の再発というよりも、本件追突事故による外傷が引き金になったものである。

(8) 後遺障害による慰謝料 一一〇六万円

原告が後遺障害第五級の障害を被ったことによる。原告及びその家族、とりわけ夫は多大の精神的損害を被っている。

(9) (1)ないし(8)の合計額 三〇一〇万三二七八円

(10) 弁護士費用相当損害 三〇〇万円

(11) (9)と(10)の合計額 三三一〇万三二七八円

(12) 損害の填補

原告は、治療費のうち八〇万一三六八円の支払を受けたので、これを控除すると、残損害額は三二三〇万一九一〇円である。

4  よって、原告は、被告真一及び被告勇に対し、損害金のうち金三一四〇万一九一〇円及び弁護士費用相当損害を除く二八四〇万一九一〇円については、昭和六一年二月一六日から、弁護士費用相当損害金三〇〇万円については、本件口頭弁論終結の翌日である平成四年一月二四日から各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、被告安田に対し、自賠責保険金として一三八三万円の請求権があるところ、既払分七五万円を除く一三〇八万円とこれについて本件訴状送達の翌日である昭和六二年九月二九日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2の事実は認める。

2  同3のうち、(二)(1)イロ及び原告の既往症については認め、その余の事実は不知。

本件事故と原告主張の症状、障害との因果関係は否認する。

本件事故は、被告が、渋滞中低速で追従していたところ、脇見のため原告車が停止していることに気付くのが遅れ、急ブレーキをかけたが及ばず、停止寸前に追突したものである。このことと、原告車の損傷の程度が小さいこと、追突時原告車が前方に押し出されていないことからすると、被告車の追突による衝撃はごく軽微なものであった。これに加え、原告が座席のシート、ヘッドレストによって身体を保護された状態であったことも考えると、右衝撃が原告の身体に傷害を発生させるべきものであったとは到底認められない。少なくとも、等級一四級一〇号を越える障害を本件事故によるものとしては認められない。

また、原告には、昭和五六、五七年に腰痛症、左根性坐骨神経痛、昭和六〇年に頸椎骨軟骨症の既往症があり、事故後の症状は、日時の経過により増強したものであるから、外傷性の症状とは考え難い。

更に、本件事故の一月後、原告が座椅子に初めて足を伸ばして座ろうとしたため、腰に負担が生じ、それ以降腰の症状が酷くなったのであって、これは本件事故とは別の原因である。

三  抗弁

1  仮に原告の損害賠償請求権が多少認められるとしても、二2に述べた原告の既往症による寄与度減額をするべきである。

2  本件事故による原告の損害について、尾崎病院における治療費八八九七円、大和高田市立病院における治療費七八万三四五五円、大阪薬業健康保険組合が支払った治療費の求償金九〇一六円の合計八〇万一三六八円が支払われた。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1について、原告の既往症があったことは認めるが、その余の主張は争う。

既往症や若干の老化現象も考えると、原告の症状について、本件事故の寄与度は、八、九割である。しかし、不法行為者は、被害者のあるがままを受け入れるべきであるから、その結果のすべてに責任を負うべきであり、寄与度による損害賠償額の減額をするべきではない。

2  同2の事実は認める。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1(本件事故の発生)、2(責任原因)の事実は争いがない。

二原告の損害について

1  〈書証番号略〉、証人米田秀城、同松本圭司、同中村裕史、同清水淳の各証言、原告(第一、二回)、被告真一各本人尋問の結果、鑑定結果によると、次の事実が認められる。

(一)  原告は、本件事故の時、衝撃で、身体が前のめりになり、次いで後方に首が振られ、かつ臀部が上方に浮き上がるようになるなどし、その直後から頸部や頭部に強い痛みがあり、腰背部痛もあった。

原告は、事故の翌日である昭和六一年二月一七日、尾崎整形外科医院を受診し、項部、頭部の痛み、左棘上筋の圧痛、左スパーリングテスト、ジャクソンテスト各陽性などの症状があり、頸部のレントゲン検査では明らかな骨傷、軟部組織の腫脹がないなど異常を認められなかったが、頸部捻挫でその後一〇日間の安静を要する旨診断され、鎮痛剤の投与、湿布、頸椎固定等の処置を受けた。原告は、同月一八日、一九日、二〇日、二二日、同医院に通院し、投薬、湿布等の処置を受けたが、同月二〇日頃から頭部痛が軽減した他は、項部痛等同様の症状が持続し、同月二二日にはラセグー徴候陽性であった。

原告は、同月二四日以降、大和高田市立病院に転医した。同日の原告の症状は、訴えとして事故直後より項部痛、腰背部痛があり、頸椎の運動痛があって、医師の診察により、左の脊柱挙上筋、第三腰椎横突起、上下臀部、膝窩部、腓腹部、果部、傍脊柱筋群、僧帽筋、上腕神経叢に圧痛があり、大後頭神経痛があり、頸部の運動範囲に制限があり、ラセグー徴候九〇度で陽性、スパーリングテスト陽性などであった。原告は、その後、同病院に、同年三月に二二日、四月に一五日、五月に一七日、六月に一九日、同年七月に二〇日、同年八月に一八日、同年九月一日と通院し、同月二日から同月八日まで同病院に入院し、その後同月に一〇日、一〇月に一八日、一一月に一〇日、一二月に一八日、昭和六二年一月に二〇日、二月に九日通院し、同月一六日から同年三月四日まで入院(治療及び検査のため)し、同月一一日に通院して治療を受けた。この間、項部、頸部の痛みが当初継続しており、その後も時々あった他、五月初め頃から腰部、臀部の痛みが以前より強くなり、同年六月頃からは歩行時等に左足の痛み、しびれも感じるようになった。同年八月頃以降、左腰部のしびれも持続しており、九月初めには左腰背部から下肢にかけての痛み、しびれが著しくなり、座位困難、歩行不安定とまでなったため、主として検査目的で入院した。入院中もこれら症状は殆ど軽減せず、かえって腰部から左足部にかけての痛みが頑強に持続し、後頸部痛、左上肢、左足指のしびれなどもあった。この他嘔気もあった。同年九月以降の通院時、原告には、腰ないし左下肢痛が著明にあり、頸部痛、左下肢知覚障害、左上下肢脱力、歩行障害、脊柱運動障害もあった。医師の診察においては、通院当初から頸部運動痛や脊柱挙上筋、臀部等の圧痛が継続しており、三月頃には左大後頭神経痛もあった他、五月初め頃からは主として左足関節の挙上低下、ラセグー徴候陽性、六月頃からは第五ないし第四、五腰椎の殴打痛ないし圧痛、左第一〇胸椎以下知覚低下、八月頃からは左足親指筋力低下などの症状が現れて、これらの症状は通院期間を通じて持続するようになった。また、原告には、同年二月二四日のレントゲン写真で、脊椎(部位は不明)変形症軽度、同年六月一六日、レントゲン写真で、第五腰椎、第一仙椎椎間腔のごく軽度の狭少化と同レベルの骨棘形成が認められ、同年九月三日、CTスキャンで第四、第五腰椎椎間板の脊髄軽度圧排が認められる一方下位胸椎から腰椎にかけての椎間腔の狭少や明らかなヘルニアは認められず、脊髄造影で、左第一仙骨神経根像の欠損が認められ、昭和六二年二月二五日の脊髄造影で左第五腰椎、第一仙椎椎間に神経根像の欠損が認められた。更に平成三年九月三〇日の頸椎MRI検査では、第五、第六頸椎椎間板の膨隆があり、同年一〇月二日の腰椎MRI検査では、第三、第四腰椎椎間板、第四、第五腰椎椎間板、第五腰椎、第一仙椎椎間板の各膨隆があり、もっとも酷いのが第五腰椎、第一仙椎椎間板の膨隆であることが認められた。

同病院においては、当初二週間程度の安静を指導され、投薬、同年三月初め以降牽引、温熱の理学療法を継続された他、同年六、七、九月頃、痛みを抑えるため、硬膜外ブロックを数度施行された。

昭和六二年一月二九日、同病院の医師により、原告について、傷病名外傷性頸椎症、腰部捻挫、他覚症状及び検査結果として、左上下肢知覚鈍麻、頸部項部腰部左下肢圧痛、アキレス腱反射左低下、握力左低下、左膝、足部筋力低下、左ラセグーテスト陽性、左スパーリングテスト陽性、脊柱の可動範囲が、胸腰椎部の前屈三〇度、後屈〇度、右左屈各一〇度、右左回旋各三〇度、頸椎部前屈二〇度後屈一〇度、右左屈各三〇度、右回旋四五度、左回旋二〇度、荷重機能障害として常時コルセット装用の必要性ありとされ、これら障害の緩解の見通しは困難との本件事故による後遺症診断がなされた。

原告は、その後、入通院時に比べ、各所の痛みは軽くなったものの、その他の症状は余り変わらない。即ち腰部、頸部、肩部の痛みが残存し、左手、左下肢にしびれ、知覚鈍麻、左手の筋力低下があり、足の親指を伸ばせず、立位では腰から足にかけて痛みがつのるようになり、歩行が不自由である。原告は、内職ができず、外出や室内でのそうじなどが困難であるなど、家事労働にも大きな制約を受けている。

以上の原告の症状のうち、頸部、肩部、上肢の症状は、頸椎椎間板の膨隆により、腰部ないし下肢の症状は、腰椎椎間板ヘルニアにより、いずれも各所の脊髄神経根が圧迫されたことによるものである。

(二)  原告は、長年家事育児に従事する他、昭和五三年以前から靴下加工の内職を続け、普通の日常生活を送っていた。

原告は、昭和五六年一一月二一日、腰痛等の症状で歩行困難となり、同月二五日、大和高田市立病院を受診して以後昭和五七年四月三〇日まで入通院した。原告の自覚症状は、腰背部痛、体動困難、左放散痛というもので、医師の診察では、当初左脊柱挙上筋、第三腰椎横突起に圧痛があり、左臀筋の緊張低下、左足親指筋力が弱く、左第五腰椎、第一仙椎知覚低下、ラセグー徴候があり、その後左の上下臀部、膝窩部、腓腹部、果部圧痛、アキレス腱反射左減弱なども付け加わった。この間のレントゲン検査では、異常を認められなかった。原告は、同病院で、腰痛症、左根性坐骨神経痛の診断を受け、安静の指示とともに、牽引、温熱療法、投薬による治療を受け続け、症状軽快を見ないため、昭和五七年二月一九日から同年三月二三日まで同病院に入院して、牽引と硬膜外神経ブロックを施行され、症状軽快した。同年四月三〇日には、医師の診察で、左上下臀部に圧痛があり、足関節挙上が左やや弱い他は正常であった。原告は、右通院終了時、自覚症状は消失し、内職を再開するなど普通の日常生活に復帰した。

原告は、昭和六〇年三月頃から、左肩部痛、同部から両上肢にかけてしびれ感があり、次第に増強してきたので、同月六日、大和高田市立病院を受診し、以後同月二五日まで通院した。通院時の原告の自覚症状は、左肩から手にかけてしびれ感、疼痛が常時あるというもので、医師の診察では、頸部運動範囲の制限、疼痛はなく、左頸部(第四ないし第六頸椎)神経根、左腕神経叢、右傍脊柱筋、左僧帽筋、左二頭筋長頭に圧痛があり、両上肢、両手に知覚低下があり、これは左の方が強く、左手の握力が弱く、左手から前腕にかけて腫脹があった。また、レントゲン写真では異常を認められなかったが、CTスキャンでは、後従靭帯が軽度硬化しているものの、脊髄腔への圧迫はなく、神経根への圧迫を認めないものの、第二、第三頸椎間が少し狭く、著明な骨変化はないものと認められた。この他に目立った症状はなかった。原告は、同病院で、頸椎骨軟骨症の診断を受け、牽引及び温熱療法、投薬、更に頸神経ブロック(一回)の治療を受け、症状がなくなり、内職を再開し、普通の生活に復帰した。

(三)  一般に、外傷後の頸部、腰部の諸症状は、急性症状としても、頸部の場合でも翌日翌々日以降一週間位、腰部の場合には一月位は発現、顕在化することがよくあり、特に椎間板損傷による症状は遅発性のことが多い。これらの中には、少数ながら、数か月経ても症状の治まらない難治例のあることがよく知られ、これは、受傷後数か月を経て椎間板の膨隆(即ちヘルニア)など著しい変化が現れて来て、これが神経根の圧迫による神経症状をもたらし慢性固定化しているものと考えるべきことが少なからぬ専門医によって指摘されている。椎間板は急激な外力により痛めつけられ、ヘルニアなどの変化を起こしやすく、しかも右外傷による変化は、受傷後数か月に渡って起こって来ることが普通である。特に腰部は頸部よりも変化に時間がかかる。これに対し、加齢的変化等非外傷性変化では数か月或いは数年間隔で比較してもあまり大きな変化は出現して来ない。また、頸椎症等の既往症を有する者に新たに捻挫即ち軟骨部等の損傷が重複した際には、病態が更に難治遷延すること、この原因として、既往症時椎間板の損傷があった場合、当該部位は新たな衝撃に弱く、再び膨隆しやすいことも専門医により指摘されている。

(四)  本件事故の模様及び原告が受けた衝撃については、次のとおりである。

事故現場は平坦でなめらかなアスファルト舗装の道路で、乾燥していた。原告は、重量五七〇キログラム、排気量0.54リットルの軽四輪乗用自動車(原告車)の助手席に座っており、夫である米田秀城が運転席に座っていた。追突した被告車は、普通乗用自動車で重量が八〇〇キログラムであり、被告真一が運転席に座っていた他乗員はいなかった。被告真一は、時速約三五キロメートルで走行中、脇見をした後、原告車が11.1メートル先に停止しているのに気付き、直ちに制動措置を取ったが、原告車の直後に長さ約3.5メートルのスリップ痕を残して追突した。追突時、被告車のバンパーが原告車のバンパーの下部にぶつかった。

衝突直前制動前の被告車の速度は時速約三五キロメートルもあり、これに対し、スリップ痕が約3.5メートルと短く、スリップ痕の印象前の若干の制動距離時間を含めても、制動の効いた距離時間は短いこと、道路面の状況に照らし、その摩擦の程度についてありうべき多少の幅を考えても、衝突時の被告車の速度は時速約一五ないし二〇キロメートル以上であり、従って、原告車は、後方から約2.3ないし3.2G以上の加速度を受けたものと推測できる。原告車は、軽四輪乗用自動車で、被告車に比べて軽量で衝撃はより大きくなったものと考えられ、しかも原告車は普通乗用自動車等に比べ構造が貧弱で破損しやすいものであった。

衝突の結果、被告車には、前部バンパー擦過の損傷が起きた。他方、原告車には、バンパーの下部が凹損し、リヤエンドパネル、リヤフロアパネル、リヤフェンダーに変形などの損傷があり、リヤエンドパネルの交換やリヤフロアパネルの板金修理、リヤフェンダーの修理などの処置が施され、これら修理代金は四万七一〇〇円を要した。

2  右認定の事実に照らし、原告が、本件事故により、傷害を受けたか、またどの程度の傷害を受けたかについて検討する。

右認定の事実に更に〈書証番号略〉、証人米田秀城、同中村裕史、同清水淳の各証言、原告本人(第一、二回)尋問の結果を総合すると、以下のとおり認定判断できる。

即ち、原告は、事故の直後から強度の頭痛、項頸部痛があり、また腰背部痛もあったところ、頭部痛は数日を経て軽減したものの、項頸部痛及びこれに関連する左手のしびれなどはずっと持続し、腰部痛やこれに関連する下肢痛、知覚障害、筋力低下、運動範囲制限等は、持続したばかりか、事故の二か月半位後からは症状のある部位、程度が拡大増強して昭和六二年三月までの入通院の間頑固に続き、これらのうち項頸部痛及び腰部から下の痛みは、その後少し低下したものの、この他の症状は余り変わらず、存続固着し、後遺症となるに至った。MRI検査等により、これらの原因は、頸椎椎間板の膨隆による頸部神経根の圧迫及び腰椎ないし腰椎仙椎椎間板の膨隆(ヘルニア)による腰部神経根の圧迫にあると言える。原告には、1(二)のとおり既往症があり、これら既往症と、右事故後の症状とは同質であり、既往症も椎間板の損傷ないしヘルニアによるものとみられることなどから、事故後の症状は右既往症より推測される原告の頸部、腰部の脊椎の脆弱さが一因となって出現したものと考えられる。しかし、右既往症は、本件事故後の症状に比べれば軽く、当時少なくとも頸部には、事故後見られたものに相当する検査(CTスキャン)上での異常所見はなく、本件事故直前は、原告は、自覚症状なく、家事や内職に従事するなど支障なく普通の生活をしていたところ、前述のとおり、事故直後から頸部腰部などの顕著な痛み、運動痛、圧痛などの症状が発現持続し、五月以降には、腰部等の椎間板膨隆によるものと思われる、痛みに加え、しびれ、知覚障害、筋力低下などの神経根症状が顕著となりかつ持続拡大した。また、右持続拡大に伴い、事故前及び直後(二月一七日)にも見られなかった頸部の椎間板の障害(膨隆など)がその後、関係症状の出現持続により、昭和六二年一月までに起こったものと推測され、腰部においては、昭和六一年九月初め以降の検査所見としても、神経根の圧迫状態が認められ、かつこれが進行し、顕著となるなど患部の悪化が目に見えて拡大していた。もっとも、昭和六一年二月二四日のレントゲン写真で認められた脊椎変形症については、証人松本圭司の証言に照らし、本件事故前から存した可能性が大きい。ただ、証拠上、これのみが、事故後の他の原告の症状の全部又は一部をもたらしたものと見るべき余地はない。

他方、本件事故時の衝撃の程度については、1(四)に認定したとおり、衝突時の被告車の速度は、時速約一五ないし二〇キロメートル以上、原告車への衝撃加速度は、約2.3ないし3.2G以上あったうえ、原告車は軽四輪乗用自動車で被告車に比べ軽量で、しかも比較的弱いバンパー下部に追突され、リヤエンドパネル、リヤフロアパネル、リヤフェンダーという車体の基本的構造部が変形などする決して軽微とは言えない損傷を被っていることからして、原告の受けた衝撃は相当大きいものであったと推測できる。被告車のバンパーが原告車のバンパー下部に衝突したことから、原告車及び原告には、前方方向だけでなく、上方向の衝撃もあった。

前記、本件事故後の原告の症状、患部の変化について、1(三)に認定した医学上の知見、1(二)の既往症当時の診断内容及びその予後などに照らすと、1(一)に認定した原告の事故後の症状のうち、昭和六一年二月二四日のレントゲン写真で認められた脊椎変形症を除く症状は、本件事故とは関係なしに起こったものとは考えられず、本件事故による衝撃及びこれに既往症による原告の頸部腰部の脆弱さも作用して椎間板の損傷、膨隆を起こしたことにより、急激及び遅発的に出現持続したものと考えるのが極めて自然である。しかも、本件事故による衝撃の程度は、前述のとおり決して軽微ではなく、相当なものであったとみられるから、右考え方を妨げないだけでなく、これに沿うものと言うべきである。

従って、本件事故後の原告の症状のうち、右脊椎変形症を除く症状は、事故がなければ起こり得なかったものであり、かつ本件事故と相当因果関係があるものと言うべきである。なお、原告の損害の具体的内容は、後述のとおりであるが、これら損害は、すべて右事故と相当因果関係ある症状を前提として生じるものであり、従って、すべて本件事故と相当因果関係あるものと認めることができる。

3  ここで、右認定判断に抵触する証拠について検討する。

(一)  鑑定結果(以下単に鑑定という。)及び右鑑定人である証人松本圭司の証言(以下松本証言という。)中には、原告の症状は、本件事故直後に頸椎可動域制限、左上肢痛、腰痛、知覚障害、筋力低下等の症状が出現せず、事故後数か月の経過において自覚所見及び理学所見とも徐々に悪化していること、及び既往症が事故後の症状と類似しているところ、特に誘因なく出現し悪化していたことから、原告の事故後の症状は、事故に起因するものとは考えられない旨の記載供述がある。

しかし、右記載供述は、原告の事故後の症状と事故との因果関係を全面的に否定するものであるところ、松本証言中で、本件事故により原告の左頸部に何らかの損傷があったということは(尾崎整形外科の診断による)圧痛の存在からして十分考えられるとし、頸部捻挫とか腰部捻挫があった可能性があり、脆弱部位があるとそれが少し長引く可能性があるとし、鑑定中では、既往症の起因部位は、脆弱部位であるから、いわゆる再発が起こる可能性が高い或いは障害を受けた場合にも他の健常部より損傷が大きい可能性があるとしながら、結局、本件事故の影響が不明とするのであればまだしも、本件事故に起因するものとは考えられないとする点(この点、松本証言では、交通事故が一〇〇パーセント起因するものとは考えられない旨、或いは軟部組織の損傷があった可能性はある旨修正しているかのような箇所がある。)、結論に至った過程について十分な説明がなく、説得力の低いものと言わねばならない。鑑定には、原告の頸部に加わった加速度が約1.07Gであったと認識し、これを前提として鑑定した旨の記載(四ページ二行目)がある。松本証言中には、このことは鑑定の結論には影響ない旨の箇所があるが、にもかかわらず、右鑑定の記載からすると、鑑定人は、原告の受けた衝撃が約1.07G程度の軽微なものであったことも資料の一つとして、原告の事故後の症状と事故との因果関係を積極的に否定する結論を導き出したものと解さざるを得ない。従って、原告の受けた衝撃が右程度を越えるときは、鑑定及び松本証言の説得力はより低下するものと言わざるを得ない。そうして、この点については、1(四)のとおり、原告の受けた衝撃は、鑑定人が前提としたような軽微なものではなかったと見るべきなのである。

次に、鑑定及び松本証言では、一般的に、外傷による症状は、受傷直後或いは二四時間以内に最も強く、これが安静により軽快していくのが常であり、二、三か月後に発現することは考えられないとし、ところが、原告の症状は、本件事故後右時間を過ぎた以降、腰痛等が発現するなど徐々に悪化している点をもって、事故との因果関係否定の根拠としているようである。しかし、(〈書証番号略〉、証人清水淳の証言に照らすと、頸部腰部にかかる外傷(事故等外部からの衝撃による損傷)後の症状発現等の経過に関する医学上の知見については、右鑑定等の趣旨に反し、より症状の発現が遅れ、又は遷延する場合もあること、既往症のある場合には、新たな外傷により、既往症と同様の症状が起こりやすく、かつ更に難治遷延しやすいことが認められる。鑑定及び松本証言の、前記外傷による症状発現についての説明は、外傷後の通常の場合の説明としてはともかく、あらゆる場合にそうであるべきである趣旨とすれば、右清水証言等の証拠に照らし、妥当性を欠くものと言うべきである。本件の場合、原告の頸部、腰部及びこれに関連する部位の神経等の症状は、事故後直ちにないし八日くらいの間に大体発現して、その後持続し、拡大等している。しかも、事故直後にレントゲン写真に現れた脊椎変形は事故前からのものではないかと考えられるが、昭和六二年九月三日以降に検査で認められた腰椎部の脊髄圧迫、腰椎椎間板、頸部椎間板の膨隆などは、これらが原告の持続する神経症状をもたらしていると考えられるところ、事故直前には、原告は、神経症状は少なくとも自覚症状がなかったと見られるうえ、〈書証番号略〉によると、昭和六〇年四月六日の頸部造影剤テストで異常を認められず、同月一八日のCTスキャン検査によると、頸部神経根への圧迫は認められなかったことからすると、右脊髄圧迫、椎間板膨隆は、事故直前にはなかったと見るべきである。右事故後の症状経過、脊髄圧迫等の発現経過も、原告の事故後の症状について、本件事故の衝撃が作用したことを当然想定させ、前記鑑定及び松本証言に信を措けないことを示すものである。

従って、前記鑑定及び松本証言の説得力の低さ並びに専門医の見解、事故後の原告の症状などの経過に照らし、事故後持続している原告の症状についての前記鑑定及び松本証言の見方は採用できず、これらは、既往症による患部の脆弱さのみならず、本件事故による衝撃により発現したものと見る方がむしろ自然である。

(二)  〈書証番号略〉には、被告車が原告車に衝突したときの被告車の速度は大きめに見積もって時速約6.79キロメートルと推定され、原告車に生じた衝撃加速度は約1.07Gである旨、これにより原告の頸部に加わった力は頸部に傷害が発生するような大きな力ではないので、原告の傷害と本件事故との因果関係はない旨の自動車工学的見地からの鑑定記載がある。

〈書証番号略〉には、その根拠として、先ず、原告車の事故による変形修理の模様が軽微であり、被告車の変形破損は観察されないから、原告車の受けた衝撃力は極めて軽微であったと記載している。しかし、むしろ、原告車の破損状況は、〈書証番号略〉により、リヤエンドパネルが交換を要する程変形を受け、リヤフロアパネルにも変形を受け、リヤフェンダーも含め修理を要したものと認められるところ、これら各所に変形などの損傷を生じたことは決して軽微とは言えないもので、このことは、原告の受けた衝撃も軽く見るべきでないことを示している。

また、被告車に破損がないと言うのは〈書証番号略〉に照らして誤りであるところ、その衝突部位はバンパーであり、原告車はもともと脆弱な軽四輪であるうえ、その衝突部位はバンパーより脆弱なバンパー下部であるから、被告車の破損が前部バンパー擦過(〈書証番号略〉)程度であったとしても、直ちに原告車の受けた衝撃が軽微であるとする根拠にはならない。

〈書証番号略〉の記載のうち、被告車の衝突した時の速度が時速約6.79キロメートルとする根拠は、追突車である被告車の変形破損状況から、実効衝突速度を時速約三キロメートルとし、これから換算したものであるが、〈書証番号略〉の資料とした衝突実験は、普通乗用自動車同士で、しかもバンパー同士を衝突させたものと推測されるが、本件では、原告車は被告車に比べ脆弱な構造であり、しかも原告車の衝突部位が脆弱な箇所であったから、右実験結果は妥当せず、被告車の変形破損が軽微であったからと言って、その実効衝突速度ないし衝突時の速度が右のような低速であったと推測することはできない。

〈書証番号略〉によると、原告車の運転車米田秀城らの指示説明として、原告車は衝突地点において停止した旨の記載があるが、これは右両地点を厳密に特定してされたものとは認められず、大きくは移動しなかった程度の推測資料とはなるものの、証人中村裕史の証言に照らすと、多少前に押し出された可能性を排除するものではないから、この指示説明をもって衝突時の被告車が非常に低速であったとか、衝撃加速度がごく小さかったと推測することはできない。

かえって、〈書証番号略〉、証人中村裕史の証言によると、原告車の破損の程度、被告車の制動前の速度、制動時の原告車との距離、スリップ痕の長さなどから、被告車の衝突時の速度及び衝撃加速度は、一(四)のとおり認めるべきである。

この他、〈書証番号略〉で受傷の可能性がなかった根拠として引用する人体等による衝突実験に対し、本件事故では、原告は、前記事故態様から衝突を予期していなかったと認められること、女性でしかも頸部腰部に脆弱部位をもっていたことに照らし、衝突時の条件、身体状態が大きく異なるから、右衝突実験の根拠としての価値は殆ど取るに足りないものと言うべきである。

右原告車の被った損傷の程度、被告車の衝突時の速度、衝撃加速度、衝突態様、原告の身体の状態などに照らし、〈書証番号略〉の見解は採用することはできないものであって、これをもって原告が本件事故で受傷する可能性が低かったなどと言うことはできない。

原告本人(第一回)尋問の結果によると、原告は、衝突時、ヘッドレストに頭をもたれさせていた可能性が高い。しかし、前記認定の衝突の模様から、原告車は、後ろから前のみでなく、下から上へ突き上げられるような衝撃を加えられたと認められるうえ、〈書証番号略〉、原告本人(第一回)尋問の結果によると、原告は、衝突の瞬間、前のめりになり、その反動で後ろへ首が振られ、上方へ突き上げられたりしたというところ、これは、ヘッドレストに頭をもたれていたとすると生じえない動きとは言えず、右のような動きがあったと認定するのに妨げないし、かえって、右動きがあったと認定するべきであり、これら事故による衝撃の方向及び原告の身体の動きからして、ヘッドレストに頭をもたれていたからと言って、これによる保護作用はあまり働かなかったものと見られ、従って、原告の頸部、腰部などの急激な運動があったことを否定することはできず、原告が受傷した可能性が低いということはできない。

原告本人(第一、二回)尋問の結果中には、事故の約一月後、座椅子に足を伸ばして腰を下ろそうとしたとき、激しい痛みがあったとの箇所があるが、これは、右動作の際痛みを覚えたという以上に、これがきっかけとなって以後腰痛が生じ又は悪化したとの趣旨とは解されないから、右動作が原告の後遺症の原因とは言えない。

(三)  従って、(一)、(二)に掲げた反対証拠をもって、前記1、2の認定判断を左右するに足りず、この他これを覆すに足りる証拠はない。

三原告の損害金額

1  治療費

(一) 原告は、二1(一)認定のとおり、本件事故後、昭和六一年二月一七日から同月二二日まで尾崎整形外科医院に通院(通院実日数五日)し、同月二四日から昭和六二年三月一一日まで大和高田市立病院に通院(実日数一九八日)及び入院(日数二四日)して治療、検査を受けたところ、これらは、二2に判断したとおり、いずれも、本件事故と相当因果関係あるものと認められる(なお、昭和六二年一月二九日より後の入通院は、医師が症状固定と診断した後のものであるが、二1(一)に認定した症状経過や後遺症の内容からすると、右症状固定とされた時期以降も多少症状軽減の可能性があり、このための治療の必要並びに、症状の起こる原因及び爾後の見通しをつけるための検査の必要もあったと言えるから、これについても、相当因果関係を認めるべきである)。

この間の原告の治療費が、尾崎整形外科医院について一万七九一三円であり、大和高田市立病院について七八万三四五五円であることは争いがないから、この合計八〇万一三六八円は、原告の損害と認められる。

(二)  〈書証番号略〉、同証言、右尋問結果によると、原告は、昭和六二年三月九日以降、本件事故後の症状を軽減するため、大和郡山市所在の西郡山接骨院へ通っており、うち同年六月二〇日まで六八回通院し、この間一回あたり二〇〇〇円、合計一三万六〇〇〇円の施術費を支払ったこと、右施術の内容は、温熱、電気療法及び骨盤調整などであることが認められる。

ただ、右接骨院での施術が、医師が必要と認めたものと認めうる証拠はなく、施術内容のうち骨盤調整なるものが、症状の軽減に必要かどうか判然とせず、その他の施術が自宅でできないものかどうか明らかではないから、右施術及びこれによる施術費が本件事故による損害と認めることはできない。

2  入院諸雑費

原告は、1に述べた二四日間の入院中、一日一〇〇〇円、合計二万四〇〇〇円の諸雑費を用し、同額の損害を被ったものと認めるべきである。

3  通院交通費

〈書証番号略〉、証人米田秀城の証言、右尋問結果、弁論の全趣旨によると、原告は、事故後、しばらくは歩行困難のため、タクシーでの通院を余儀なくされ、その費用として三五回分(〈書証番号略〉中、九月八日の分は退院した日の分であるから二回のうち一回のみしか認められない。)、一回あたり五九〇円を要し(これを越える金額を要したかどうかは不明)、その合計は、二万〇六五〇円である。この他の通院には夫運転の自家用車により、その回数は、尾崎整形外科分一〇回、大和高田市立病院分三六三回(入院の際の分を含む。)であったところ、この費用としては、運転にあたる夫の費用と合わせ、前記タクシー代金額をもって相当とし、その金額は、二二万〇〇七〇円である。右合計は二四万〇七二〇円であり、原告は同額の損害を被ったものと認められる。

4  入通院付添費

原告の入院中の付添費については、前記認定の原告の症状経過に照らしても、付添が必要であったとは認められず、通院中の付添費については、前記認定のタクシーによる通院を越える付添を必要としたものと認められず、従って前記タクシー代金相当額を越える付添費を要したものと言えないから、これらの費用相当損害を認めることはできない。

5  休業損害

二1(一)認定に加え、〈書証番号略〉、原告本人(第一、二回)尋問の結果、弁論の全趣旨によると、原告は、本件事故当時四八才であり、家事に従事する他、内職で一月平均八万円を稼いでいたので、賃金センサスを参照すると、一月あたり一八万五一〇〇円の平均収入を得ていたものと見るべきこと、医師から、事故時以降通じて二三日間安静を指示されたところ、実際には、一月間安静療養を余儀なくされ、その後入院二四日間を要したこと、また、事故時から昭和六二年三月一一までの間のうち、右安静療養及び入院期間を除いた三四二日のうち一九〇日通院を余儀なくされ、かつこの間、頸部や腰、上下肢等の痛み、しびれ、知覚障害などにより、著しく労働能力が低下し、内職ができなかったうえ、家事労働にも大きな制約を受けたこと、従って、前記安静療養及び入院期間中の合計五三日間は、ほぼ全面的に休業を余儀なくされ、その他の通院期間中も、家事及び内職によるうべかりし収入の七〇パーセントを喪失したものと認められる。

従って、原告の事故時である昭和六一年二月一六日から、通院終了時である昭和六二年三月一一日までの休業損害は、

18万5100円×12÷365(53+342×0.7)=177万9394円

である。

6  入通院慰謝料

原告が医師により症状固定と診断された昭和六二年一月二九日までの間、原告は、入通院約一一月半を要し、この間の入院は七日間、実通院日数は、〈書証番号略〉により、一九三日と認められるので、症状経過、既往症の影響などの事情を合わせ考慮し、この間の入通院慰謝料は、八〇万円を相当と認める。

7  後遺症による逸失利益

二1(一)、2に認定判断したところ及び〈書証番号略〉、証人清水淳の証言、原告本人(第一、二回)尋問の結果によると、原告は、本件事故により、通院終了時以後現在においても、二1(一)の、昭和六二年一月二九日の後遺症診断及びその後現在までの症状記載のとおり後遺症を負っており、昭和六二年三月から起算して一〇年間は現在の症状が存続するものと見込まれ、このため、原告は脊柱の運動障害(自動車損害賠償保障法施行例別表第八級二号)及び神経系統の機能に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの(右別表第九級一〇号)にあたることとなり、これらを総合して軽易な労務以外の労務に服することができなくなったものであり、この結果、五六パーセント労働能力を喪失したものと認めるべきである。

従って、原告の逸失利益は、前記休業損害算定期間後の昭和六二年三月一二日以降、一〇年間につき、前記一月あたり平均収入を基礎に求められ、その現価額はホフマン方式により、次のとおり算出できる。

18万5100円×12×0.56×(8.5901−0.9523)=950万0445円

8  後遺症による慰謝料

前記二1(一)、三7に述べた後遺症の内容、事故の態様、前述のとおりこれが、原告の既往症も一因となって招来されたこと、〈書証番号略〉、証人米田秀城の証言、原告本人(第一、二回)尋問の結果により認定できる、原告は、体調をより悪化させないため、マッサージなど身体の保全措置を欠かせない状態で、日常生活を送るうえで、夫の大きな助けを必要とする状態であること、その他一切の事情により、右慰謝料としては、六〇〇万円をもって相当と認める。

9  右1(一)、2、3、5、ないし8に認めた損害の合計金額は、一九一四万五九二七円である。

10  右9の損害額のうち後記損害填補の結果、本件で請求しうべき損害額、本件での審理経過等を考慮すると、弁護士費用相当損害としては、二〇〇万円と認めるべきである。

四既往症による寄与度減額の主張について

本件事故後の原告の症状については、原告の既往症による患部の脆弱さがその一因となっていることは前述のとおりである。

しかし、このような被害者の素因があっても、本件原告のように、事故前普通の日常生活を送り、右素因による支障がなかった場合においては、被害者にとっては、事故がなければ、支障を生じることなく生活を送りえたのであるから、仮に右素因により損害賠償請求権を縮減されるものとすれば、思わぬ外部の要因によって失った生活利益の全部を填補されない結果、自己に帰するべき理由なく、生活利益の一部を奪われ、その保障をされないこととなり、耐えがたい結果となる。不法行為者は、その被害者をあるがままの状態で引き受けるというのを不法行為法上の原則とするべきゆえんである。他方、加害者にとっては、被害者に与えた打撃の強弱にかかわらず、事故の模様やその場の状況、被害者の個性により被害程度が軽重あるべきことは覚悟するべきものであって、特に交通事故の場合、事故の大きさと被害程度が必ずしも比例しないこと、被害者の強弱により結果が左右されることは常識であるから、被害者の素因のより結果の大小があり、負わされるべき損害賠償額に多寡があってもやむを得ないものと言うべきである。従って、事故後の症状が、被害者の素因に基づく面があることを理由に、寄与度による減額ないし過失相殺の類推適用をすることは、かえって公平の理念に反し、採るべきではない(事故後の被害者の対応ないし心因的要因については、別個の取扱いは当然ありうる)。

この点に関する被告の主張は失当である。

五損害の填補

原告が、本件事故による損害のうち、治療費合計八〇万一三六八円の支払いを受けたことは争いがない。

従って、原告の損害残額は、弁護士費用を除いた分が一八三四万四五五九円、弁護士費用相当損害が二〇〇万円である。

六被告安田に対する保険金請求について

原告の本件事故による損害賠償請求権残額は、五に述べたとおり二〇三四万四五五九円であるところ、被告安田は、前記自賠責保険契約に基づき、原告に対し右損害賠償請求権残額の範囲内で保険金の限度で損害金を支払うべき義務を負う。原告の後遺障害は、自賠法施行令により、同別表七級に該当するものと扱われるべきであるから、原告が被告安田に請求しうべき自賠責保険金は、同別表により、九四九万円であり、その既払額が七五万円であるから、支払うべき保険金限度の損害残額は八七四万円である。

七結論

よって、原告の本訴請求は、被告真一及び被告勇に対し、連帯して、右損害残額合計二〇三四万四五五九円及びうち弁護士費用以外の損害金一八三四万四五五九円に対する本件事故の昭和六一年二月一六日から、うち弁護士費用相当損害金二〇〇万円については、本件口頭弁論終結の翌日である平成四年一月二四日から各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の、被告安田に対し、右被告らと連帯して、自賠法に基づき、自賠責保険金額相当の損害残金八七四万円及びこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和六二年九月二九日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の各支払いを求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文但書を、仮執行宣言につき同法一九六条一項を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官高田泰治)

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